「あのとき、あいつが、あんなことさえしなかったら、こんなつらい目に遭わずにすんだのに…」
「会社にきちんとした制度がありさえすれば、こんな失敗はしなかったのに…」などと、
いくら言っても、何の役にも立ちません。役に立たないどころかマイナスです。
本当は、事態をしっかりと見つめて現実的な解決を図らなくてはならないのに、逆に、
問題解決から遠ざかっていきます。 自分こそ責任を背負うべきかもしれないのに、
自分が課題を正面から受けとめ担うべきかもしれないのに、責任や課題は周りに押しつけて、
自分自身をやさしく慰め、甘えさせるのです。そんな愚痴は、言えば言うほど暗くなり、
後ろ向きになっていきます。
愚痴とは、口にしても仕方のないようなことを言って嘆くことです。「死んだ子の年を数える」
というたとえがあります。事実としては言っても返らないと知っていても、子を亡くした親の
情としては、それでも言いたいのでしょう。「あの子が生きていれば、いま幾つだろう」と、
言ってもかえらぬことを言って、惜しんだり、くやしんだりすることです。
十九世紀のボーデンシュテットというドイツの詩人がこんなことを言っているそうです。
「賢明に語ることはしばしば困難である。賢明に沈黙することは、たいていはもっと困難である」
つらいときこそ愚痴をこぼさずに、ぐっと耐える。耐えて、賢明に沈黙する。それは、
問題や課題に勇気をもって立ち向かうためです。つらさの中から、一歩前へ進むためです。
いつか、失敗談を、つらい時期の思い出を笑って話す日を迎えるために、今は愚痴をこぼさず、
つらさをかみ締めるのです。
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